毛利元就の先祖に関するお話

毛利元就の先祖に関するお話

毛利元就は「先祖が判明している」珍しい武将です。

彼の先祖は大江広元です。大江広元は今で言う政府の長官で、源頼朝のブレインとして働いていたようです。近世前の武士は、大量の子供を設け、財産を分けて家の繁栄を目指すという人間が大半でした。兄弟同士で戦争する事も珍しくない時代でしたが、財産を分けておけば勝った方は自分の家の人間として生き残ってくれますこれが、財産を分ける事のメリットだったようです。

さて、大江広元の場合ですが、彼には4名の男の子供が存在しました。興味深い事に長男の親広は承久の乱(後鳥羽上皇側)に参戦しています。つまりは、幕府と争う立場に立っていたという事が言えます。

この大江一家の子供と父親の争いは、存外知名度の低い歴史的事実です。反対に、末っ子の毛利李光は幕府の味方をしていて、大江一家は兄弟でも争う流れになったのです。結局のところ、幕府が勝ちを収めたわけですが、幕府の味方をしていた李光は、それから北条氏の執権に反発するようになり、三浦氏と一緒にクーデターを起こして大江達は敗北しました。

これが俗に言う「宝治の戦い」です。実際 これで大江の血が絶たれてもおかしくなかったわけですが…… 李光の四男だった経光が越後で地頭の役職に就いていて、大江家は細い糸をつなぐことができたのです。経光は、それから安芸の地頭の役職に就いて、吉田郡山城の主に就任します。